日本の有名実業家である木村育生氏は、一括請求システム事業を展開するインボイスを創立し上場までへと導いた敏腕経営者として知られています。 一見スポーツとは関連が薄いイメージのある実業家の木村育生氏は、実は地域密着型のスポーツへの熱い思いを抱き日本初のプロバスケットボールリーグ「bjリーグ」の会長まで務めた人物です。 今回は、木村育生氏が情熱を注いだ「bjリーグ」についてご紹介していきましょう。 木村育生氏とバスケットボール木村育生氏とバスケットボールの出会いは、木村育生氏の中学生時代まで遡ります。 1958年生まれの木村育生氏が中学生になった頃にはミュンヘンオリンピックが開催されており、男子バスケットボール競技には日本代表選手が出場しています。 前回のメキシコオリンピックで出場を逃した日本代表チームがオリンピック男子バスケットボール競技に出場し活躍する姿を知り、中学校の部活動でバスケットボール部に所属していた木村育生氏はますますバスケットボールへの想いを強くしていきました。 高校時代の木村育生氏は出身中学のバスケット部へコーチとして出向き、慶応義塾大学1年生の時には慶応女子中等部のヘッドコーチも務めています。 そして、慶応義塾大学卒業後には渡米し、テキサス州ヒューストンで過ごす日々の中で、地元のバスケットボールチームが地域の人々に愛され、人々に活力を与え、人々の身近な存在としてプロ選手が活躍しているという土壌に惹かれるという経験をしています。
地域密着型のbjリーグとは2005年11月に開幕したbjリーグは、新潟アルビレックスと埼玉ブロンコスが中心となってリーグを発足し、2010年に日本バスケットボール協会から公認されました。 日本バスケットリーグとの3者で統合し、完全プロリーグ化を目指したものの、企業チームがプロ化に対して難色を示したことや企業チームの参加に対してbjリーグが反発したことから統合には到らなかったという歴史があります。 もともと、bjリーグは地域密着型を志向していて、高いプロ意識があり、常に選手もフロントもバスケで食べていくこと、どうすればバスケ界が盛り上がるかを真剣に考えていました。 スポンサーとの連携や、地域イベントへの参加など企業チームにはない文化があり、様々な活動に参加しながら選手の意識を高めて地元で愛されるリーグに成長してきた点がbjリーグの特徴と言えます。 2015年のシーズンを最後に、2016年シーズンからはナショナル・バスケットボール・リーグと統合したB.LEAGUEに移行しており、リーグとしては消滅した形になっているものの、bjリーグで活躍してきたプロ選手やbjリーグ出身のチームには、リーグを盛り上げバスケ熱を高めていくことに対するbjリーグ流の精神が脈々と受け継がれています。
木村育生氏とbjリーグ木村育生氏はバスケットボールというスポーツを日本に根付かせたい、普及させたいという熱意からbjリーグの立ち上げに携わりました。 当時の日本では体育の授業や部活動などでバスケットボールそのものは慣れ親しまれた競技でありながら、プロ化されておらず、競技の裾野は広がりにくい状況でした。 プロ化してプロで活躍する選手に身近に触れる機会が増えれば、もっとバスケットボール競技が盛んになるとの思いが木村育生氏をbjリーグ設立に導いたと言えるでしょう。 実業家として活躍する木村育生氏の経営手腕は、多くの人の心を動かした結果でもあります。 bjリーグの精神も、木村育生氏が大切にしている「人の心を動かす力」から育ってきたものであり、選手たちの活躍には今後も注目が集まるでしょう。 |